クラウディオ・アラウ 初心者でも分かる評価とおすすめYouTube動画の紹介

   


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みなさんピアノの練習はされていますか!

私が独学で勉強するに当たり

参考にしているピアニストを紹介しています

今回は

南米出身のピアニストの生涯を紹介します

 

クラウディオ・アラウ
~Claudio Arrau~

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ピアノの「巨匠」

 

1903年2月6日チリのチャリン出身

父親が歯科医、

母親がピアノ教師だったため、

彼にとってピアノはごく当たり前に家の中にあるものでした

 

そのため

あなたが手足を何も考えなくても動かせれるように
アラウもピアノを弾くことができたのです

 

そんな彼が神童と呼ばれるのも必然だったのかもしれません

 

5歳の時には初リサイタルを行い、

7歳にはチリ政府から奨学金を受給してもらいドイツに留学する事になりました

 リスト譲りの打鍵力

 

ベルリンのシュテルン音楽院に入学し

ベートヴェン、チェルニーの系譜である

リストの高弟であるマルティン・クラウゼに習ったことで

ピアノ人生が決まりました

 

そしてこのクラウゼという人物はフランツ・リストから直接指導を受けた人物なので

アラウはリストの弾き方や音楽論を

まるでリスト本人から教わっているかのように

習うことができました

ちなみに

日本のピアニストである小山実稚恵も

アラウとは系統が違いますがこのリストの家系に入っています。

関連記事⇒フランツ・リスト

 

クラウゼはリストをそのまま模してピアノを弾くこともあり

特に職人芸のような細かな曲ごとの弾き分けや音の使い方や響かせ方など

楽譜や文字だけでは教えるのが不可能や事柄も余すところなく教えてもらいます

それはクラウゼが亡くなる1918年まで続きました

 

ですので、

アラウの演奏を聞けばリストが当時どのような演奏をしていたのか想像を巡らすことができますね

 

1914年にはベルリンでデビューし、興行は大成功をおさめます

1927年にはジュネーブ国際コンクールで優勝。ヨーロッパ全土に名前が知れ渡り、

故郷のチリにも演奏に赴くこともありました。

 

アメリカ カーネギー・ホールでの成功

 

出典:www.flickr.com

1941年には資本主義の総本山であるアメリカのカーネギー・ホール・デビュー

名誉と名声を不動のものにします

拠点もニューヨークに移したことにより母国であるチリとの行き来が便利になり、

チリに音楽学校を設立して若手育成に注力していきます

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日本にも足しげく来日

 

1965年に初来日して以来、

生涯に6回にわたってコンサートを開催し日本人との交流も多く行われ親しれました

 

録音活動の本格化

 

第二次世界大戦を無事に切り抜けた後は録音活動を積極的に行いました。

そのおかげで大量の音源が残っていますので

現代もその当時の音源をあなたも私も聞くことができます

 

ここでそんな数ある音源の中から名盤のご紹介をいたします

 

名盤

リスト直系の神髄を感じたいならこの1枚

 

ドイツ音楽を知り尽くしているからこそ出せる音があります

 

 

まとめ

クラウディオ・アラウ
~Claudio Arrau~
・母親がピアノ教師だったため、ピアノのある生活が当たり前であった
・幼いころから神童ぶりを発揮し政府からの奨学金でドイツに渡る
・ドイツでルティン・クラウゼに教えを受ける
・ジュネーブ国際コンクールで優勝しヨーロッパ国中名を轟かせる
・録音も積極的に行い多数の音源が残っている

 

いかがだったでしょうか

晩年は88歳で亡くなるまで生涯に渡りピアニストを貫きました

まさにピアノの巨匠にふさわしい人物です

 

楽しいピアノライフを!

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