パウル・ウィトゲンシュタインって?どんなピアニスト?

   


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みなさんピアノの練習はされていますか!

私が独学で勉強するに当たり

参考にしているピアニストを紹介しています

今回は

 

パウル・ウィトゲンシュタイン

~Paul Wittgenstein~

 

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 隻腕のピアニスト

オーストリア・ウィーン

出典:www.flickr.com

1887年5月11日、オーストリアのウィーン生まれ

父親は大実業家

母親はアマチュア・ピアニストで

一流の芸術家や文化人が集う家庭でした。

その中で育ったパウルは少年時代からピアノを楽しみ

自宅サロンに訪れた一流音楽家たちとセッションをして

自然とセンスを磨いていました

 

1913年には本格的にデビューを果たしますが、

同年に父親が死去し、

翌年には第一次世界大戦が始まるという

波乱の中での旅立ちでした

 

戦争の代償

 

兵隊として招集を受けた彼は、

戦場でパトロール中に敵兵士に右腕を狙撃され負傷してしまいます。

そして、生きるためには右腕を切断するしかなく

彼は葛藤のすえ、

ピアニストにとっては命よりも大事である手を諦め

生きることを選びました

 

不屈の精神

 

彼はピアノ人生をそこで幕を下ろすことはことをしませんでした

ここからが彼の本当のピアノ人生の始まりだったのです

 

それからは左手だけの猛練習が始まりました

練習をやりながら

左手だけでも弾けるように既存の曲を編曲しなおし

見事ピアニストとして戻ってくることが出来ました

 

 名立たる一流の作曲家達に曲を依頼

 

父はオーストリアのユダヤ人実業家カール・ウィトゲンシュタイン

一代で築き上げた富は莫大なものでした

その父が亡くなり、遺産分与され彼のところにも多額の富が流れ込んできました

財力とピアノへの執念、二つが組み合わさったとき

彼を左手作品を大量に依頼させる人間へと変えていきました

 

彼が書かせた左手のピアノ曲は数千曲あるといわれています。

彼の音楽へのこだわりは強く、自分が思い描く曲と違った場合

作曲家に書き直させたり、あるいは一回も演奏することなくお蔵入りになった曲も

数多く存在しています。

 

彼が書かせた曲で特に有名な曲はラヴェル作「左手のためのピアノ協奏曲」

これも一筋縄ではいかなかったらしく

ウィトゲンシュタインが弾きづらかった箇所を勝手に修正し演奏していたところ、

ラヴェルが激怒して言い争いになり、数年間演奏されなかったという逸話があります

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苦悩の日々

 

彼をさらに苦しめたのはユダヤ人であること

時代的にナチが台頭してきて、ユダヤ人が迫害され生きづらい時代でした

さらにオーストリアでのコンサートなどの演奏活動も制限され

音楽家としても一人の人間としても辛い時代が続きました

 

自由の国アメリカ

 

1938年にはアメリカに移住し束縛から解放され

1946年には市民権を取得。

その後アメリカを拠点に活動し、

1961年3月3日にニューヨークにて73歳の生涯を閉じました。

彼の人生は波瀾万丈でしたが

その波にのみ込まれることなく、ピアニストとしての人生を貫き通したのです

 

名盤

 

 

まとめ

 

パウル・ウィトゲンシュタイン

~Paul Wittgenstein~

・1887年5月11日、オーストリアのウィーン生まれ
・父はオーストリアのユダヤ人実業家カール・ウィトゲンシュタイン
・戦争で敵兵に撃たれ、右腕切断を余儀なくされる
・戦地から帰還後は猛練習を重ね、ピアノ界に復帰
・父の莫大な遺産を活用し左手用作品を一流作曲家達に大量に委嘱した

 

いかがだったでしょうか

左手でだけでやっていくと誓った精神力には驚くばかりですね。

楽しいピアノライフを!

 

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